糖尿病だった偉人達に教えてあげたかった! 効果的な運動療法!

糖尿病の治療は「1に食事、2に運動、3、4がなくて、5に薬」といわれますが、生活習慣を改善すると、治療だけでなく発症の予防にもなります。
食事療法に運動療法を併用すると、糖尿病の治療や発症予防に、もっと効果がある、ということも実証されています。

  • wolf 更新日:2013/09/19

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  • 糖尿病の標準的な治療方法

  • 糖尿病の治療には食事療法、運動療法、薬物療法があります。食事療法、運動療法が治療の基本ですが、これらだけで血糖値が下がらない場合には薬物療法を併用します。HbA1cを6.5%未満にすることで合併症の頻度が少なくなることが知られており、これが最低限達成すべき目標値となります(HbA1cが6.5%という状態は、空腹時血糖130mg/dl未満かつ食後2時間血糖値180mg/dl未満という状態に相当します)。
    出典 :糖尿病 家庭の医学 - Yahoo!ヘルスケア
  • 食事療法について

  • 性別、年齢、肥満度、活動量、血糖値、合併症の有無などを考慮し、1日のエネルギー摂取量を決めます。決められたエネルギー摂取量内で炭水化物、タンパク質、脂質のバランスをとり、適量のビタミン、ミネラルも摂取して、いずれの栄養素も過不足ない状態にします。詳細は医師や栄養士の指示に従って下さい。標準的なエネルギー摂取量は以下のように求められます。

    <エネルギー摂取量=標準体重×身体活動量>
     標準体重(kg)=身長(m2)×22
     エネルギー摂取量(kcal)=標準体重(kg)×30(kcal/kg)(軽労働または中労働の方)
     エネルギー摂取量(kcal)=標準体重(kg)×25(kcal/kg)(肥満の方)
     なお、肥満とはBMI(body mass index)=体重(kg)÷身長(m)÷身長(m)が25以上の状態のことをいいます。
    出典 :糖尿病 家庭の医学 - Yahoo!ヘルスケア
  • 運動療法について

  • 歩行運動では1回15~30分間、1日2回(7,000歩/日以上程度)が適当とされています。糖尿病に対する運動の効果はインスリン感受性の改善にあります。血糖コントロールが極端に悪い場合、網膜症の状態が悪い場合、腎不全のある場合、心臓や肺などの機能に障害のある場合などは運動療法を制限したほうがいいため、個々の患者さんに適した運動療法をすることが必要です。
    出典 :糖尿病 家庭の医学 - Yahoo!ヘルスケア
  • どうして運動療法が必要なのか?

  • 食べ過ぎやバランスの悪い食事に加えて、運動不足も糖尿病をひき起こすきっかけになります。
    運動不足になると、ブドウ糖をエネルギーとして消費する筋肉の量が減ってきます。
    また、インスリンの働きをじゃまする脂肪が増えて、ブドウ糖が利用されにくくなってきます。
    このように、運動不足は血糖コントロールを乱す大きな要因です。

    しかし、適度な運動をすることによって、筋肉中のグリコーゲンが消費され、同時にインスリンの働きもよくなるので、血液中のブドウ糖も筋肉に取り込まれて血糖値が下がります。

    さらに運動は、肥満の予防や心肺機能の向上、ストレス解消にも役立ちます。

    食事療法が糖尿病治療法の右腕だとすると、運動療法は左腕なのです。

  • 運動療法についてのリンクをまとめてみました。

  • 糖尿病だった有名人

  • 藤原道長

     

    (966~1027)

  • 平安時代の最高権力者藤原道長は、その絶頂期に娘三人を相次いで宮中に送り込み「この世をばわが世とぞ思ふ望月の欠けたることのなしと思へば」という和歌を詠んだことで有名です。道長の長女彰子(一条天皇の中宮)に仕えたのが紫式部。源氏物語の主人公、光源氏のモデルは道長で、物語はその栄華の世界の写しと言われています。
    そんな栄華に満ちあふれた道長は、美酒美食に明け暮れ、運動不足となり、さらには権力闘争でストレスも強かったためか、中年過ぎからは、しばしば口の渇きを訴え、昼夜なく水をほしがり、脱力感にもおそわれていました。これが、日本で最初の糖尿病患者としても知られる道長が訴えた症状です。その後、白内障か糖尿病網膜症により眼が見えにくくなったようです。さらに、背中にお椀ほどの大きな腫れ物ができ、寝込みました。免疫力が低下し、ちょっとした傷でも化膿を起こしやすい糖尿病の症状と考えられます。道長は、これが原因となり、敗血症に陥り、最期は多臓器不全で他界したと考えられています。62歳の生涯でした。
    後年、道長は「第15回国際糖尿病会議」の記念切手(平成6年)に、六角形のインスリン結晶と共に描かれています。
    出典 :糖尿病だった有名人 ノボケアCircle : 糖尿病サイト
  • 織田信長

     

    (1534~1582)

  • 織田信長は尾張守護代の織田家の庶流として生まれました。青年期の信長は、好んで異様な風体をして、粗暴な振る舞いが多かったので、「大うつけ者」の評判が高く、父の葬儀で仏前にを抹香(まっこう)を投げつけたエピソードは「信長公記」にも記されています。
    今川義元との桶狭間の戦い、浅井氏・朝倉氏の連合軍との姉川の戦い、武田氏との長篠の戦い、延暦寺の焼き討ちなど、戦いに明け暮れた信長は気性も激しい人だったようです。
    信長は、お酒はほとんど飲まなかったようですが、味の濃い料理を好んだようです。桶狭間の戦いの際には、鎧をつけ、立ったまま食事をして出陣するなど、忙しい食生活の日々もあったようです。
    糖尿病はむかし「飲水病」と呼ばれていました。喉が渇くために水を多く飲むので「口渇病」「消渇(しょうかち)」とも言われました。信長もこの「飲水病」にかかっており、安土城に入城してからは「手足の痛み、しびれが強かった」という記録があります。糖尿病神経障害を合併していたのではないかと考えられています。
    明智光秀の謀反により、本能寺でたおれた信長。彼がもう少し長生きをしていたら!?と歴史好きのみならず、今なお多くの人々を魅了する人物です。
    出典 :糖尿病だった有名人 ノボケアCircle : 糖尿病サイト
  • ヨハン・ゼバスティアン・バッハ

     

    (1685~1750)

  • ドイツ・バロック音楽を代表する作曲家でオルガン奏者です。ドイツ中部ザクセン地方のアイゼナハで生まれ、父は町の音楽師でした。他にも一族から多くの音楽家が生まれています。「ジュピター交響曲」「G線上のアリア」「マタイ受難曲」「ブランデンブルク協奏曲」「トッカータとフーガ」など数々の名曲を生み出し、「音楽の父」と呼ばれています。
    現在残っているバッハの肖像画から、彼が肥満だったことがわかります。大食漢だった、バッハのオルガン試奏に対して、依頼者が催した宴は、とても豪勢なメニューだったなどという記録も残っています。ワインも大好物だったようです。
    60歳近くになってから、バッハは視力が衰えました。糖尿病による白内障と推察されています。また、糖尿病網膜症を起こしていた可能性も考えられています。二度にわたり眼の手術を受けましたが、失敗に終わり、術後はほとんど見えなくなったようです。
    出典 :糖尿病だった有名人 ノボケアCircle : 糖尿病サイト
  • トーマス・エジソン

     

    (1847~1931)

  • エジソンは電球や蓄音機をはじめ、生涯約1300もの発明をしたことにより「発明王」として知られています。
    35歳当時、身長は170センチあまりで体重は70キロ前後。ナッツ類が大好物で、パイとコーヒーといった軽食をつい口にしてしまうため、肥満気味でした。その上、一晩中働いていると言われたほど、仕事に熱中し、睡眠時間も常に不足気味だったそうです。また、運動の効用も全く信じていませんでした。後年、消化器系の病気に冒されていたようでしたが、医師が勧めるレントゲン検査も拒絶したそうです。糖尿病も患っていましたが、84歳の生涯を全うしました。
    白熱電球の改良に使用した竹の産地である、京都男山にある石清水八幡宮境内には、エジソンの記念碑があります。また、電気・電波・コンピュータの守護神として崇敬を集めている電電宮のある法輪寺(京都嵐山)にも記念碑があります。
    出典 :糖尿病だった有名人 ノボケアCircle : 糖尿病サイト
  • 夏目漱石

     

    (1867~1916)

  • 夏目漱石は「吾輩は猫である」「坊っちゃん」「草枕」など、今日なお多くの愛読者がいる明治の文豪です。1900年(明治33年)から2年間英国に留学し、帰国後は東京帝国大学英文科講師ならびに第一高等学校講師も務めました。
    しかし、神経衰弱、胃潰瘍、糖尿病など多くの病に苦しんだ人でもありました。お酒は弱かったようですが、大の甘党で、まんじゅう、ようかん、ケーキ、ジャムなどが好物で、あまりに食べ過ぎるので医師から止められたこともあったようです。また、胃潰瘍で通院した際、尿糖が出ていることを医師から指摘されたこともありました。
    43歳の時、療養先の修善寺で大量吐血し、その後も潰瘍の再発を繰り返して、49歳の若さで亡くなりました。
    漱石が幼少の頃学んだ錦華小学校(現お茶の水小学校:東京都千代田区)の正門の横には、「吾輩は猫である」の有名な序文が刻まれた記念碑が建っています。
    出典 :糖尿病だった有名人 ノボケアCircle : 糖尿病サイト
  • アーネスト・ヘミングウェイ

     

    (1899~1961)

  • ヘミングウェイの小説・詩は、わかりやすい言葉で力強く、話し言葉を効果的に用いる独特の文章です。究極まで削ぎ落とされたストイックな文章は、彼の冒険的な生活やイメージと共に、文学界に多大な影響を与え、今でも多くのファンを魅了しています。そして多くの作品が映画化されています。
    ヘミングウェイは釣り、狩猟、闘牛そしてお酒を好み、世界中を旅しました。大酒豪としても有名なヘミングウェイですが、カクテルのフローズン・ダイキリは、彼が愛飲したことで知られています。しかし、飲み過ぎは体重の増加や肝臓の機能の低下、そして高血圧、血糖値の上昇にもつながっていたようです。ヘミングウェイの父親は糖尿病でしたので、体質的にも糖尿病になりやすかったことも考えられています。また、ノーベル文学賞を受賞した年には、二度の航空機事故に遭い、後遺症が残る程の重傷を負いました。この頃から、加速度的に視力と聴力が低下し、糖尿病や高血圧以外にも、事故の後遺症もあり、うつ病に悩まされるようになり、執筆活動も次第に滞りがちになっていきました。その後、入退院を繰り返し、最期は自宅で愛用のライフル銃で自死したと言われています。
    パリでの修行時代、ハリウッドスターとの交友録、4度の結婚など、華やかな伝説も残したヘミングウェイは、アイダホ州ケチャムに静かに眠っています。
    出典 :糖尿病だった有名人 ノボケアCircle : 糖尿病サイト